陣痛の始まりと焦り
その日は12月上旬の朝だった。東京の街は少し冷え込んでいた。私が目を覚ますと、いつもと違うおなかの張りを感じた。予定日はまだ先と思っていたが、これは間違いなく陣痛の始まりだった。
最初こそ軽い張りだったが、時間の経過とともに次第に痛みは強まっていった。医師からは、「最初の産気づきから本格的な陣痛が来るまでに12時間はかかる」と教わっていた。つまり、今から病院に向かっても意味がない。家で痛みに耐える覚悟を決めた。
「里帰り出産VS立会い出産」夫婦で選んだ理想の出産方式 出産方式を決める夫婦の悩み 私たち夫婦は妊娠7ヶ月頃から、出産方式について本格的に検討するようになった。一般的には、里帰り出産と立会い出産の2つが最も一般的な選択肢だ。 私の実家は[…]
陣痛への不安から学ぶ呼吸法 初めての妊娠、順調に9ヶ月を過ごし、いよいよ出産の時が迫ってきた。待ち遠しい赤ちゃんの顔を想像するだけでわくわくした一方で、陣痛への不安も徐々に大きくなっていった。 「陣痛は本当につらいのかしら?」[…]
「もうそろそろ病院に行った方がいいのではないか」
夫は私の険しい表情を見て、そう切り出した。確かに家で待っているだけでは限界が来そうだった。焦りが募っていく中、私たちは出発を決意した。
タクシーでの過酷な移動
最寄り駅からタクシーを拾う。進路を阻むように次々と赤信号が現れた。タクシーの走行は渋滞に阻まれ、遅々としたものだった。
「間に合うか!?」
そう口にするや否や、陣痛がまたやってきた。私は痛みに顔を歪め、夫の手を強く握りしめた。
「大丈夫、もうすぐだから!」
夫はそう言うが、同じ陣痛がすぐにまた来た。車内で唸り声をあげながら、痛みに耐える私だった。タクシーの運転手さんも、振り返りざまにいらいらした表情を見せていた。
渋滞が解消されるまでに30分は費やされた。そしてようやく到着した産院のエントランスで、陣痛に見舞われた。スタッフの人が慌ててストレッチャーを車まで運んできた。
間一髪のタイミング
ストレッチャーで運ばれ分娩室に入ると、検診の結果、側頭という状況だった。つまり、産道を進む頭位がすでに確認できていた。まさに最終段階を迎えていたのだ。
「間に合ってよかった。5分でも10分でも遅れていたら…」
スタッフの人がそう口にし、私たちは胃を冷やした。つらい移動を経てようやく病院に辿り着けたのだが、その時間的余裕は本当にぎりぎりだったのだ。
残り少ない時間、最後の力を振り絞った。果てしなく続く痛みに耐え忍びながら、ついに我が子を無事にこの世に産むことができた。
タクシーに乗るまでの移動を振り返ると、本当に危険な目にも遭いかねない状況だった。車中はたじたじだったし、渋滞に阻まれるたびに焦りは増すばかりだった。それでもギリギリのところで産院に到着できたのは、奇跡に近かった。
一命を賭した”駆け足レース”だった
出産を経験して分かったことだが、私たちが闘ったのは文字通り”命がけのレース”に等しかった。
タクシーに乗って窮地に陥った瞬間、母体、そして赤ちゃんの命すら脅かされかねない事態だった。渋滞が長引けば長引くほど、そのリスクは高まる一方だった。焦りが募るのも無理はない。
結果として無事に上手くいったが、これは単に”幸運”だったと片付けることはできない。そこには私たち夫婦の強い意志がささげられていた。
つまり、どうしてでも母子の命を守り抜こうとする強い”執念”があったからこそ、このレースに勝利できたのだ。やむを得ず危険を冒してでも、第一目的は子を無事に産む、それだけだった。
こうして振り返ると、”陣痛タクシー”は大仰に聞こえるかもしれない。しかし私たちにとっては、正に一種の”命懸け”の体験だったのだと言えるだろう。
ただ我が子を無事に産むためだけに、想像を絶するリスクを冒さざるを得なかった。忘れ難い出産体験は、同時に我々の強い意思をも証明する出来事だったと自負している。
遠方からの里帰り出産を応援!パパの立会い体験と上手な準備ポイント 私は、関東在住ながら、実家のある九州に里帰りして出産しました。出産にあたっては、夫も立ち会うことができ、とてもサポートになってくれました。 遠方からの里帰り出産は、準[…]
出産は、大切な人生の節目の一つです。安全に出産できることはもちろんのこと、母体の回復や新生児の養育など、さまざまなケアが必要となります。出産後の入院生活では、自分や赤ちゃんのためにできることを最大限に行いたいものですが、体調不良や心身の疲労[…]